船路の行方を知らぬ
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私達の魂って、どこへ行くのだろう。
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身体は泥舟のような物で、魂とはその動力のようなものだと思っている。
人生、とか、時間、とか言う暗く長い川を流れて行く。
気が付けばその水面に浮かんでいて、勿論行く先は知らない。
それはみんな平等で、どこへ行くんだろうなぁ、なんて言って波に揺られてるうち。泥舟は少しずつ崩れて沈んでいき、やがて動力として燃えていた炎も、水底に消える。
きっとこれが最期と言うもので、ごく一握りのひとだけが、この船旅の終着点を見ることができるのだ。
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話は変わるが、棺桶が好きだ。
できるなら部屋にひとつ、いや、みっつ位欲しい。
何がそんなに良いのかと聞かれれば、正直自分でもはっきりとは分からない。
例えば、ヴァンパイア的なゴシック的な様相であったり、生きている内に滅多に触れ合わぬ非日常感であったり、あのシルエットの可憐さだったり。その辺り、適当な事は上げられるけれど、どれもぴったり適切な訳では無い気がする。
棺桶と言う、ひとの亡骸を収める箱の一体なにが、私をこんなにも惹きつけるのだろう。
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ひとつ言うのなら、タナトスに焦がれている。
と言えば、洒落ている風に聞こえるかもしれない。というか、むしろ厨二病っぽく聞こえる気もする。まぁ致し方なし。
タナトスに焦がれている。今に始まった事ではなく。
人は生まれ落ちると、死へと向かって流れてゆく。川の流れは常に一方通行で、人ごときには争いようも無い。
波に泥舟を崩されながら、あくせくと踠き、それが無意味だと気がつく事すらできない内に轟沈する。
結局は、人生とは沈みゆく結末の決まった悲惨な旅路なのだ。と、そう考えているもので。
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それなら、脆く歪な泥舟をさっさと棄てて、動力の炎が赤々と燃え盛るうちに絶えてしまいたい。と、思うのも別におかしな事でも無いと思う。
どれだけオールを漕ごうと、惰性に船旅を続けようと、その末路は全て同じくである。
タナトスを船に招くなら、どうせなら、乗り心地の良い内の方がいいじゃない。
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棺に惹かれるのは、つまりこの辺りの感覚が大きいのだと思う。おそらくね。
棺桶とは、崩れ落ちた泥舟からその魂を掬い取って、ただしく収めるための寝具なのだ。
もしかしたら、天界やら極楽やらへの旅路で、船として役立ってくれるのかもしれない。天にも登る乗り心地、なんて言ったりして。
棺の蓋を開けば、そこにタナトスが横たわっているような気がする。
その吐息を感じてみたい。
だから、私の部屋には棺桶がひとつ、と言わずみっつ位必要なのである。
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揺り籠から墓場まで。
葬儀ではデデマウスをかけてくれ。
- - - - - - - - - - mirror ball closet